最近の日本で「支配側に迷惑をかけると罪になる」謎現象がブームに

普通の世の中では、罪を行った人間がその罪を理由に処分されたり、謝罪することが当たり前だ。ところが今の日本では「支配側に迷惑をかけると罪になる」謎の現象が起きている。一方、その相手が被支配側であれば、どんな罪でも許されるかのようなことがまかり通っている。戦前回帰だろうか?

自民党「言論弾圧騒動」で失言の議員たちは何に謝罪したか?

自民党の言論統制騒動では、沖縄メディア批判を繰り広げた長尾たかし代議士は「党本部より厳重注意処分が決定し、慎んでお受けいたしました。 (中略)延長国会における各重要法案の審議が、 滞りなく行われるよう、取り組んでまいります」とツイート。沖縄県民やマスコミに対してではなく、党の国会運営に迷惑をかけたことを謝罪しているようだ

教師の不祥事をツイートすると停学させられる謎

高校生が、自分の通う学校の教師による「不祥事」をツイッター上で投稿すると、なぜか停学処分を食らうという現象も大阪や沖縄で相次いでいる。本来なら、処分されるべきは不祥事を行う教師のはずだが、学生と言う弱い立場がそれを白日のもとにさらす行為の方が罪になるようだ

そういえば、AKB48「峯岸みなみ騒動」もこの一種かもしれない

ちょっと昔のことだが、2年前のAKB48「峯岸みなみ騒動」もその一種ではないだろうか。秋元康プロデューサは恋愛禁止をシャレであってルールではないと明言しているものの、なぜか峯岸は丸刈りでの謝罪を余儀なくされた。海外メディアはこの問題を大きく報じている

ネット上で加速する「反日・魔女狩り」もこの一種

ネット上では去年ごろから人気タレントのパフォーマンスを「反日」と決めつけてその存在を否定するような「魔女狩り」のラッシュが起きている。最初に標的にされたのはサザンオールスターズだったが、その後は8.6秒バズーカ―に

若者のネット文化の流行の発信地であるニコニコ動画で「ゲーム実況主」として有名なとあるユーザは、「左翼活動家や9条の会に所属しているなどの疑惑」を吹っかけられている。例によって、過去の発言や活動などについて言いがかりをつけられているのだが、騒ぎが大きくなり、本人は釈明を余儀なくされた

法治国家である日本「罪」は恣意的に乱用することはできないはず

なお、日本は法治国家であり、「罪刑法定主義」と呼ばれる概念を適応している。何らかのルールに違反しない限りは、その行為がいかなるものであっても罪とみなすことはできない。「支配する側」だからといってルールを反しても許されるわけはなく、まして恣意的な蘭用をすることはできないのだ

必ず、法律(場合によっては条例)によって「○○の犯罪を犯したら、□□の刑に処する」
と規定しているからこそ、裁判所は、「被告人は○○の犯罪を犯したと認められるので、
被告人を、□□の刑に処する」と判決できるわけです。

実際に刑罰が下される根拠となっているのは、それは刑法が「○○の犯罪を犯せば、□□の刑罰を受ける。」とあらかじめ定めているからです。
このように、犯罪と刑罰をあらかじめ法律で定めておいてはじめて刑罰権行使ができることを

罪刑法定主義(ざいけいほうていしゅぎ)

支配側に迷惑をかけると罪になるのは「人治国家」の発想だ

なお、「支配的な立場」にすべてを委ねるような発想は、人治主義と呼ばれるもの。「近代」を否定する発想が一部の日本人に定着しているとしたら、それは大きな問題だろう

有能な人物の裁量や裁断を中心に治める考え方。法規範などの社会規範を尊重しない統治

日本の愚かな「近代」否定者にありがちな考え方①子育て

日本の愚かな「近代」否定者にありがちな考えとしてまず挙げられるのが、「体罰」賛美だ。親や教師という「支配側」の立場が子どもとうい「被支配」立場に対し暴力をしてもかまわないというものだ。その際、言い訳として「体罰には教育上の価値がある」とやり玉に挙げることがある

しかし体罰には科学的根拠はなく、犯罪行為に該当することは既に明らかになっている

小池拓也弁護士に聞いた。

●ほとんどの体罰は「犯罪」にあたる可能性がある

「体罰は、刑法でいう傷害罪(204条)、暴行罪(208条)などの罪にあたる可能性があります。これが犯罪になるかどうかは、法律上正当化できるかどうかで決まります。

教員の場合、学校教育法11条が懲戒権を認めていますが、その一方で体罰を明確に禁止していますので、体罰の正当化はできません。

「子どもの自由」を否定したがる衆愚

出典greenz.jp

日本も批准する子どもの権利条約では、自由な活動の尊重が重要な柱になっている。しかし、日本の愚かな「近代」否定者の風潮説いては、子どものインターネット利用の禁制や、大人と同じファッションをする「小学生ギャル」の禁止などを掲げたがる傾向にある。「子どもは大人の都合の良い形で支配されていればいい」と言うきわめて「幼稚で傲慢な発想」が垣間見えるものだ

日本の愚かな「近代」否定者にありがちな考え方②国家観

日本の愚かな「近代」否定者にありがちなのは「立憲主義」の否定だ。国家権力の暴走によって個人の自由や権利が奪われることがないように、憲法によって政府の権力を制限する発想が立憲主義である。日本の愚かな「近代」否定者に二はこの発想が欠落しているのは明らかだ

PRまとめ

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