『ハマの番長』三浦大輔の伝説と名言

ハマの番長三浦大輔投手のヒーローインタビュー、著書、名言はかっこいいですね。2014年からはコーチ兼任です。頑張ってください。

【ハマの番長】三浦大輔

トレードマークはリーゼントだが、性格は真面目である。自分に厳しく他人に優しいナイスガイ。
高田商業高等学校を経て1991年ドラフト6位で横浜(当時は横浜大洋ホエールズ)に入団。
1995年から先発ローテーションの一人になり、1998年には優勝と日本一に貢献する。
2004年はアテネ五輪の日本代表として出場し、銅メダル獲得に貢献した。翌年2005年には初めてタイトル(最多奪三振、最優秀防御率)を獲得した。
2008年にFA宣言をし、阪神が獲得に動くがファンや球団の熱心な声を受け、「強いチームを倒したい」と残留を表明。

三浦が入団した1992年から2012年シーズン終了時点までに、球団名が横浜大洋ホエールズから横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと変化しているが、三浦は「その3球団全てに在籍したことがある」「横浜ベイスターズ期間中(1993年 – 2011年)に一度も移籍したことがない」唯一の選手である。

番長の名言

結果を出せないのは、出身校でも、起用しない首脳陣でもなく、自分の責任。人より実力が劣るからこそ練習するしかないのだ。

自分のことを「野球がうまい」と思ったことは一度もないのだそうです。

100人がおまえのことを好きだとしたら、嫌いな奴も100人いると思え

プロになったばかりのころにコーチだった小谷正勝氏に言われたという言葉です。

ムダを知るからこそ効率や合理性の大切さを理解することができ、自分にとってバランスのよい練習にたどり着くことができる。

限界というのは自分が想像する以上に先にあるもので、しかも人はそれを超えるからこそ成長できるものだと実感したといいます。

18番を横浜の新しいエースナンバーにします。そのために頑張りますから。(三浦大輔)

中畑監督の笑っている顔を僕たちはずっと見ていたい。そのためにも、死にものぐるいで戦います。

最下位はもう嫌。優勝の味をもう一度味わいたい。補強を活発にしてくれている。新しい人もたくさん入る。高いレベルで競争して上を目指したい。

今だから言えることだが、心の中の天秤が、少し阪神側に傾きかけたこともあった。だが、その均衡を打ち破ってくれたのは、やはりファンだった。

横浜に残ってよかったです。

150勝を達成時のヒーローインタビューにて

「(兼任)コーチの立場ではみんな頑張ってほしいけど、あのメンバーでオレが一番(先発を)取りたいと思っている」

中畑監督の若手への期待発言に対して。

「まだ夢の途中。引退するまでにもう一度優勝したい」

40歳で迎えるシーズンにむけて

「やっぱりファンの存在ですよね。二軍にいるときは、少なからずヘコむこともあったけど、絶対にファンが待っていてくれると思っていましたから。みんなのためにね、『俺は戻ってこなきゃいけないんだ』と思い続けてやってこられたのも大きかったですよ」

2014年序盤、調子が上がらず2度の2軍落ちを経験したときのコメント。

「23年……長いような短いような。振り返れば長いんだろうけど、それは1年、1年の積み重ねですから。それよりも今日勝てたことが嬉しい。試合をひっくり返されてもみんなが打ってくれてね。スタンドのファンからの後押しももちろんですけど、みんなに勝たせてもらいました」

2015年23年連続勝利を達成後の言葉

目立ちたがり屋の高校時代

「僕はプロ野球選手になれるんだったら何位でもいいと思っていました。ただ、ひとつだけ小さな希望がありました。できたらセ・リーグの球団に行きたいと。テレビに映る機会が多いですから(笑)」

それでもコントロールは良かったので高2の終わり頃から、ちらほらとスカウトは来ていました。ある練習試合で、スカウトが一斉にスピードガンを構えたところ、なんと初球を暴投した。〝何してんねん!〟と怒ると、〝スピードガンが見えたから力んだ〟って。

これぞプロ! ハマの番長こと三浦大輔投手の投球練習がキレキレすぎてスゴいと話題

「すんげえ制球力ww」
「コントロールやばい!ミット動かん(笑)」
「やっぱりプロってすげーよ!」
「かっこよすぎて辛い」
「何がヤバいって、全部コーナーに決まるのがヤバい。」
「さすが、ベイスターズ背負ってる番長カッコいい(≧∇≦)b コントロール!!素晴らしい!惚れますわ♪ 」

三浦大輔の投球

年度別成績

関連書籍

PRまとめ

Leave a Reply

电子邮件地址不会被公开。 必填项已用*标注

CAPTCHA
Refresh

*